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「新島襄を想う」 2013.02.26
東京・一ツ橋に学士会館という古雅にして重厚なる建物(昭和3年創建)があり、正面玄関の傍には<東京大学発祥の地>と刻まれています。明治初年の地図を見ると、確かに東京大学がその場所に示され、東隣は学習院でした。さらには会館南面の<新島襄生誕地>の文字に引きつけられます。新島の家系は上州・安中藩士であり、この地に藩邸があったからです。
さて、新島は維新前から英語・聖書を学び、函館から憧れの米国へと密航、アーモスト大学で理学(化学担当は後の札幌農学校教頭・クラーク先生)を修めて、アンドーヴァー神学校へと進みました。そして、教会での公開説教を許されるまでに至ったのです。最初の説教中に驚くべき箇所があります。イエスの磔刑は、“人類への愛の深さを示すための、神の自己否定”との断定です。<神は死んだ>(ニーチェ)など足元に及ばない洞察と度胸に満ちた名言です。これだけでも、彼の存在価値は不滅と申せましょう。
 日本に戻った維新後の新島は、「大学は知識の源泉にして文明の基礎なり」と観じ、東京大学に次いで京都に大学を設立しようと計ります。勿論、キリスト教義を礎とするものです。生前に大学は発足できませんでしたが、同志社病院と京都看病婦学校は成就しました。後者の目的は、“熟練の看護者を養成すること”と共に、“病人の心を慰めること”です。
 彼は医学部の創設も念頭に置いていたようですが、資金不足がそれを許しませんでした。もし同志社医学部が実現していたならば、病む人を隣人として愛し、心を一つにする医師が数多く生まれていたはずで、設立計画の頓挫が惜しまれます。


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